三重への旅行
95年の出来事なので、今から30年くらい前の話です。友人のH 君と車で旅行に出かけていました。
特に目的地はなく気ままな二人旅でした。
三重に立ち寄った時、たまたまその日IWA ジャパンという団体のプロレス興行が、あることを知りました。
たしか四日市だったと思います。
そして、その出場メンバーの中にあのテリーファンクの名前があったのです。
テリーと言えば、私がプロレスを好きになるきっかけとなったレスラーで、プロレスファンなら誰もが知っているビッグネームです。そのテリーが試合をするとあっては見ない訳には行きません。その日は三重に泊まることにし、早速チケットを買いました。テリーの他にも、タイガージェットシン、テリーゴーディ、ダンスバーンなど豪華な外国人が出場するということで期待が高まりました。
日本側はターザン後藤や中牧が出ていました。
憧れのレスラー、テリー・ファンク
その日の試合のことに触れる前に少しテリーについて語らせてもらいます。
先程書いたように私が、プロレスを好きになるきっかけとなったレスラーがテリーです。
テリーを初めて見たのは、1977年のオープンタッグ選手権です。
常に全力投球で、喜怒哀楽の感情をむき出しにしたテリーの試合に子供の頃夢中になったものです。
あの天龍が、「特別に技が切れるわけでもない。
パワーがあるわけでもない。スタミナがあるわけでもない。それでもトータルで見たら誰もかなわないのがテリーファンクだ。」と天龍らしい褒め方をしていました。
天龍が、地方でも、決して手を抜かないのもテリーがお手本になっているのは有名な話です。
オープンタッグでのテリーは、輝いていました。
オーラに満ちていたテリー
そのテリーの試合を旅先で見るのも趣深いと夜に向けてワクワクしていました。
夜になり会場に入れる時間となり体育館に入ると、何とテリーが売店に座って、自分のグッズを売っているのです。
これは行かなければと、早速売店に行きテリーのTシャツを購入し、サインをしてもらいました。
その頃テリーは50歳ぐらいで、選手としては峠を越していましたが、スターとしてのオーラが体中からにじみ出ていました。
(やっぱりテリーは、いくつになってもかっこええわ。)としみじみ思ったものです。
テリーからは、誰でも受け入れるという感じのキャパの大きさを感じました。
憧れのテリーとの会話
憧れのテリーに会えた訳なので、サインだけではと思い、思いきって英語で話かけてみました。
テリーがこの団体の企画していたデスマッチトーナメントに出場することを知っていましたので、
「I hope that you will win tonament.(あなたがトーナメントで勝つことを望んでいる。)」と話かけたところ、テリーが私に顔を向けて
「I hope so.(俺もそう望んでいるよ。)」と答えてくれたのです。
これが最高にかっこよくてしばらくこの時のテリーの真似をよくしていたものです。
これは、最高にかっこよかったです。
この後テリーは「俺にはもう若いときのようなスタミナもないしパワーもない。体もガタがきていて、半分ポンコツさ。それは分かっているんだ。でも俺にはハートかある。誰にも負けないプロレスを愛するハートがね。」と語ってくれました。
私はそれを聞いて(ああテリーは、ほんまにプロレスが好きなんやな。)と感動したものです。
リビングレジェンド、テリー・ファンク
その日の試合でも、テリーは目一杯頑張って三重の夜を熱く盛り上げてくれました。
何しろプロレスに興味のないH君が
「テリーって凄いな」と言っていたぐらいです。
最高の思い出をくれたリビングレジェンド、テリーファンクにこの文章を捧げます。
テリーは、この日も全力で戦ってくれました。
ありがとう。テリー
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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