プロレス初観戦で気づかされた自分の嗜好と大阪のファンのシビアさ

プロレス

プロレス初観戦日

私が初めてプロレスを生観戦したのは、昭和55年12月10日のことでした。もう今から40年近く前のことになります。新日本プロレスの第1回MSGタッグリーグ戦の決勝戦を大阪府立体育館に友達と二人で、見に行きました。

ニック
ニック

記念すべきプロレス初観戦でした。

新日本プロレスを選んだ理由

その前日には同じ会場で全日本プロレスの世界最強タッグリーグ戦が開催されており、どちらを見に行くのか迷いました。新日本を見に行く決めたのは、新日本の方は優勝決定戦であるのと、アンドレザジャイアントが見たかったためです。あのアンドレの規格外の大きさをこの目て見たいと思ったからです。
一月ぐらい前から、その日が来るのが待ち遠しかったものです。当日ワクワクしながら友達と出掛けました。友達も気合いを入れて、一眼レフカメラを持参してきました。

流れていなかった実況中継

会場に入ってまずパンフレットを購入し、当日の対戦カードを確認し試合開始を待ちました。
第1試合が始まり、一番驚いたのが実況中継が館内に流れていないことです。テレビでしかプロレスを見たことがなかったためアナウンサーの実況が館内にも流れていると思っていたのです。
(実況って館内には流れてないんや。)とガッカリしました。テレビ中継に慣れていたため、実況がない試合には、違和感を感じたものです。

ニック
ニック

実況中継が流れていないのには、驚きました。

シビアな大阪の観客

第二試合で永源遥が上田馬之助の凶器攻撃で2分足らずで負けた時館内に永源に対する「アホ」コールが響き渡り、(流石大阪の客やなぁ)と感心したものです。
上田の凶器攻撃を非難するよりも、2分足らずで負けた永源の不甲斐なさを責めた訳です。
これが大阪でなく他の会場であれば、恐らく観客は上田を責めたはずです。
払った入場料の元をとろうと考える大阪の客にとっとは、そんなにあっさりと負けてしまう永源に(もうちょっと頑張って楽しませろや。)という認識があったと思います。

ニック
ニック

「アホ」コールには笑ってしまいました。

同様のことが、セミファイナルの「タイガージェットシン対ダスティローデス」戦でも起きました。
試合が場外乱闘に終始し、2分くらいで無効試合で終わってしまったのです。
この時は、会場が騒然とし「ふざけるな!」とか「金返せ!」とか怒号がうずまきました。
永源対上田と違い、この試合を楽しみにしていた客も多く、私の周りの客も怒りを露にしてました。
私も凄くガッカリし、(これやったらシンとローデス出てないのと一緒やん。)と淋しい気持ちになりました。

ニック
ニック

シンとローデスの試合の印象は薄いです。

写真は、イメージです。

スーパースター猪木

しかし、その後メインで猪木が入場してくると場内の空気が一変し会場が猪木コール一色に変わり私は、(やっぱり猪木ってスーパースターやなあ。みんなあんなに怒ってたのに。)と場内の空気をガラリと変えた猪木に感心したものです。

ニック
ニック

猪木の入場時のイノキコールは凄かったです。

メインイベントの猪木、ボブバックランド組対ハンセン、ホーガン組は優勝戦に相応しい熱戦でした。
結果は猪木がホーガンを仕留めて優勝しました。
この時思ったのは、猪木は勝負を魅せるレスラーだなということです。
この試合猪木以外の三人が外人だったのですが、外人同士が、戦っている時は勝ち負けよりも、お互いの攻防、肉体のぶつかり合いを楽しむことに観客の
意識も向かっていました。
ところが、猪木が出た瞬間に観客の意識が猪木が勝つか負けるかに変わってしまうのです。

ニック
ニック

外人同士のぶつかり合いは、見答えがありました。

猪木のプロレスと他3人のプロレスの違い

言わば猪木は勝負を魅せ、他の三人はプロレスを魅せていた、そういう印象を持ちました。つまり言い換えると猪木以外の三人は、全日本プロレススタイルの試合をやっていたと思います。
そういう意味で他の三人は、(全日本に来たらいいのになぁ)と見ながら思ったものです。特にホーガンは(体もでかいし、こいつ絶対全日本向きやん。)と思ったものです。
新日本の試合を見ながらそんなことを考えてしまう自分に気づき、(やっぱり俺には全日本が合ってるねんなぁ)と改めて自分の嗜好にきづかされたプロレス初観戦でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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